去年の「続き」
2012年度の皇居マラソンですが、先にお伝えしたとおり、会計、寄付、報告までが終わったのが、12月14日でした。
一つには、この状況のけじめというものがあります。
「続け」ないといけない。
そうでないと、自分は逃げた人間になってしまう。
色々なことがありましたが。
そしてもう一つは。
人を信じたくない
去年の皇居マラソンで、どうしてここまで、報告も遅れたのか、ギリギリになって思いました。
いったい、ここまで遅れたのは、何だったのだろう。
思ったことは、実は、自分自身が、自分のための「1 for 1(一人は、一人に伴走/ひとりは、ひとりのために)」体制を確立できなかったからだろうと思います。
そして、信じられなかったのだと。
今も。
ずっと思っていたことは
「一人で走っていた」。
本当は、部分ぶぶん、「伴走」してくれた人たちがいてくれたのだけれど、ずっと「一人だ」と思っていたのだと思います。
それは、今になっても。
僕が、「1for1」を、本当に信じられるようになった時、このイベントは本当に終わるのでしょうか。
伴走、されたくない
あるスタッフが言っていました。
「押し付けがましさのようなものを感じる」。
それは、「一人が一人に伴走する」なんてことを、僕自身が、本当には信じていないのに
「さもあるかのように」
走ろうとする、嘘くささだったのでしょうか。
僕が1for1をはじめたのは
「そういうのがあればいいな」という思いからでした。
でも、実際には、そういうものが存在しても、願っても、ねだっても、待っていても… それは「訪れる」ことはなかったのかもしれないと思います。
「伴走」とは、「する」ほうと、「される」ほうの、双方の了承と了解、心がまえが必要なものですから。
(人生におけるものであっても)「伴走」は、「あったらいいな」とは思います。
だけど、実際に提示されてみたら…。
「そんな簡単に…」
「怖い」
「わかってたまるかよ」
…
「伴走」「される」ほうには、されることを受け入れる心構えもいるのかな…とも思います。
嘘くさいものもあっても、「支援者」の自己満足的なものと出会うこともあっても、誤解や離れていくことも含めて…
傷ついても、落胆することがあっても
こちらから、オープンマインドになっていかなければいけないのかなあ…
とも思います。
私と、走りませんか
「うつ」だったり、「サバイバー」だったりすると、疎外や無理解、傷つけることも傷つくこともあります。
「差別」されても、下に見られても、怖がられても、誤解されても、再び傷つくことになっても、「僕たちと、生きましょうよ」
と、にっこり笑って手を差し伸べて
それでも疎外されても、それでも続ける。
そんな試みが
それが自分が、このイベントを、続ける動機の一つかもしれません。
「僕(たち)は、貧困で、時に一人で生きられず、稼げず、人に向かい合うのも困難な時がある。
だけれど、僕(たち)は、世界とアクセスしようと決めました。
疎外に傷ついても、期待に裏切られても、自ら傷つける側にまわりそうになっても、それでも踏み外しはしない。
それでも。
僕たちと一緒に、走りませんか?」
僕たちと一緒に、走りませんか。
2012年 12月 18日 2013第6回1for1皇居マラソン実行委員長 NPOシゴトノアトリエ 遠藤一
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