2013年度を行う理由

 去年の「続き」


 2012年度の皇居マラソンですが、先にお伝えしたとおり、会計、寄付、報告までが終わったのが、12月14日でした。
 
 一つには、この状況のけじめというものがあります。
 「続け」ないといけない。
 そうでないと、自分は逃げた人間になってしまう。

 色々なことがありましたが。


 そしてもう一つは。


人を信じたくない



 去年の皇居マラソンで、どうしてここまで、報告も遅れたのか、ギリギリになって思いました。
 
 いったい、ここまで遅れたのは、何だったのだろう。
 
 思ったことは、実は、自分自身が、自分のための「1 for 1(一人は、一人に伴走/ひとりは、ひとりのために)」体制を確立できなかったからだろうと思います。
 そして、信じられなかったのだと。
 今も。

 ずっと思っていたことは
 「一人で走っていた」。
 本当は、部分ぶぶん、「伴走」してくれた人たちがいてくれたのだけれど、ずっと「一人だ」と思っていたのだと思います。

 それは、今になっても。


 僕が、「1for1」を、本当に信じられるようになった時、このイベントは本当に終わるのでしょうか。

 

伴走、されたくない



 あるスタッフが言っていました。
 「押し付けがましさのようなものを感じる」。
 それは、「一人が一人に伴走する」なんてことを、僕自身が、本当には信じていないのに
 「さもあるかのように」
 走ろうとする、嘘くささだったのでしょうか。


 僕が1for1をはじめたのは
 「そういうのがあればいいな」という思いからでした。
 
 でも、実際には、そういうものが存在しても、願っても、ねだっても、待っていても… それは「訪れる」ことはなかったのかもしれないと思います。
 「伴走」とは、「する」ほうと、「される」ほうの、双方の了承と了解、心がまえが必要なものですから。

 (人生におけるものであっても)「伴走」は、「あったらいいな」とは思います。
 だけど、実際に提示されてみたら…。

 「そんな簡単に…」
 「怖い」
 「わかってたまるかよ」
 …

 「伴走」「される」ほうには、されることを受け入れる心構えもいるのかな…とも思います。
 
 嘘くさいものもあっても、「支援者」の自己満足的なものと出会うこともあっても、誤解や離れていくことも含めて…
 傷ついても、落胆することがあっても

 こちらから、オープンマインドになっていかなければいけないのかなあ…

 とも思います。

 

私と、走りませんか


 
 「うつ」だったり、「サバイバー」だったりすると、疎外や無理解、傷つけることも傷つくこともあります。

 「差別」されても、下に見られても、怖がられても、誤解されても、再び傷つくことになっても、「僕たちと、生きましょうよ」

と、にっこり笑って手を差し伸べて
 それでも疎外されても、それでも続ける。
 そんな試みが

 それが自分が、このイベントを、続ける動機の一つかもしれません。

 「僕(たち)は、貧困で、時に一人で生きられず、稼げず、人に向かい合うのも困難な時がある。
 だけれど、僕(たち)は、世界とアクセスしようと決めました。
 疎外に傷ついても、期待に裏切られても、自ら傷つける側にまわりそうになっても、それでも踏み外しはしない。
 それでも。
 僕たちと一緒に、走りませんか?」

 
 僕たちと一緒に、走りませんか。 



 2012年 12月 18日 2013第6回1for1皇居マラソン実行委員長 NPOシゴトノアトリエ 遠藤一

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